百済の面影・扶餘の旅

百済とは?

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百済(くだら)は、4世紀中頃の韓半島南西部にあった扶餘系民族による国家。

百済の第26代の王、聖王(在位:523年 - 554年)。先代の武寧王の子で名前を名(明)とし、『日本書紀』には聖明王または明王と表記されている。 『三国史記』にによると 「知識が豊富で決断力があり、国民が“聖王”と称したと伝えられる名君。538年(聖王16)に泗沘(サビ:現在の扶餘)への遷都を断行。国号を一時 "南扶餘"と改称して扶餘族としての伝統を強調した。百済文化の質的水準を向上させるために大きく力を注ぎ、新羅への対抗のために殊更に倭(ヤマト王権)との連携を図ったとされる。

※左写真: 扶餘の中心部には椅子に座った姿の聖王の像が据えられ、「椅子王(ウィジャワン)」と呼ばれて親しまれている。

(2012年2月28日掲載)

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