百済の面影・扶餘の旅

扶餘のイヤギ

扶餘にゆかりの言い伝え 武王の薯童説話

『三国遺事』には「薯童謡(ソドンヨ)」という郷歌※が収録されている。

<内容>
むかし、五金山のふもとで、夫を失った貧しい女が暮らしていたが、ある日龍と交わって男児を産んだ。 子どもは美しい容姿をもっていたが、薯蕷(山芋)を掘って売ることで生計を立てていたので村人達から <薯童(ソドン)>と呼ばれていた。

成長した薯童は三国一の美人と言われた新羅第26代王の真平王の三女である善花(ソンファ)公主に惹かれ、一計を案じる。童謡を作って子供達に歌わせ都に流行らせたのだ。これが「薯童謡」である。

善化公主主隠
他密只嫁良置古
薯童房乙
夜矣卯乙抱遺去如

「善花公主様は こっそり嫁入りされて 芋掘り男(薯童)と夜毎密会している」という内容で、これが都中の噂になり、宮中にも知れ渡り、やがては王の耳に入る。

怒った真平王は善花公主を宮中から遠く離れた島に送るにことを決め、母は1斗の純金を旅の仕度金として善花に贈るのだった。途中で待ち受けていた薯童はお伴を願い出て許され、いつの間にか善花と密かに相通じる仲となる。

こうして夫婦となった二人は百済の地に移り住んだが生活は厳しい。そこで善化が生活のために母からもらった黄金を使おうとすると薯童が言った。「それが価値のあるものならば私の畑にいっぱい埋まっている」

小高い丘ほどにもなる大量の黄金を掘り出した薯童は、龍華山師子寺(現在の弥勒寺址)の知命法師の神通力を得て、善化の手紙とともに新羅の宮中に一夜のうちに運び込むのだった。父王は、その神がかり的な出来事に大いに感心し、気に入られた薯童は王位に就くことになり「武王」を名乗ることになる。※

ある日、武王が善化とともに知命法師を訪ねて師子寺に行く途中、 境内の池に弥勒三尊が現れた。 礼拝した善化は「この地に大きな寺を建てたい」と願う。武王は知命法師に命じ、 神通力をもって山をくずし池を埋め一晩で平地をつくった。 善化の父、真平王は工人100人を送り込んで協力し、この地に殿、塔、廊(ろうぶ)を三ケ所に建てた大寺をつくり「弥勒寺」と命名した。(→ 益山弥勒寺址について「全州へ行こうよ!」のサイトで見る

※郷歌(ヒャンガ):漢字の音読みと訓読みを使って表記した民謡調の詩歌。高麗時代に衰退し現存する郷歌は25篇。
※武王:百済の30代王・AD600〜641

(2011年10月1日掲載)

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